曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです

危機介入する…愛着障害に思うこと

2017年12月31日…

一年の終わりに、今日は大切な私の経験を述べてみようと思います。



カウンセラーとしての道を選んで約10年ですが、これまでに、2度ほど「危機介入」をした事があります。

しかもつい最近。

1度目は一年前と、2度目は今年のつい最近(数ヶ月前から最近まで)です。

この頻度は多いのか少ないのか解りません。



心理学を少し勉強した方はお分かりですよね。

危機介入は、きわめて慎重を要する介入行為で、一歩間違うと不毛な心理ゲームになりかねない状況に移行する事が多々あります。

海外在住の日本人で、少し時間をかけて行けば日本人の知り合いや友達になった人はいるけれど、普段は夫も周りも英語しか話す人がいない環境の中でのSOSでした。


今回大きな意味では、この危機介入は成功しました。かなり重症な愛着障害のある人でした。

カウンセリングをした最初の日にそれが(重症だという事が)わかりました。

一先ずその危機は脱する事ができ、愛着障害だった母親からの子への体罰などの虐待は止める事ができました。

カウンセリングの翌日からピタッと。

Skypeでの話の中で、「ものすごい後悔、危機感と、でもまだやり直せる、という希望とをたくさん学ばせていただきました。」と母親はメールに綴っていました。

危機介入のタイミングは間に合ったようでした。



ただ、叩かなくなったものの、ガミガミはまだあるし、理由のわからない怒りが子や夫に向いてしまいます。それは母親の母親から受けた愛情の欠如といったものに起因するのではと思われました。

幼い頃の記憶がすっぽり抜けて、どうしても思い出せない。

抱かれた記憶の感覚がない。

手を繋いだ時の感触がない。

思い出すのは小学校から帰って来た時に家に母がいなくて叫びながら家の周りに母を求めた情景。

叩かれたり叱られたりした記憶もないのに、どうして母と幼い頃を過ごしていたのか記憶がない…

おそらく愛情のかけ方に偏りのある精神的なネグレクトだったのではと思われました。

何不自由ない中流の暮らしだったらしいけれど、話をする中で彼女の中にあまりカマンセンスが存在しません。

それでも、自分の生んだ子供の可愛さはカウンセリングの中盤からよく表現できるようになり、母親から逃げていた子供は今は母親に甘え、笑顔も出るようになりました。

さあ!ここから自分が成長していくんだよ、と母親に自覚を促し始めた頃に、クライエントに新たな拒否症状が出て来ました。



これはもう、Skypeカウンセリングの限界でもありました。現地で高いカウンセリング料金は払えない。生活も苦しい。英語力はまだ未熟。そんな中で応じた、日本人同士のSkype対話でした。




「自分を大切にする」ということがどういうことか、多くの愛着障害を持った人たちはどうすれば自分を大切にすることができるのかが、実はよく解りません。

なぜか?

愛されるという体験をして来ませんでした。

おそらく彼女の母親が愛を伝えるということをできなかったのではと思われます。

愛され大切にされてこなかった人たちは、自分のことを大切にするという事がわかりません。

自分のことを大切にできないから当然自分の子どもの愛し方も解りません。

そういう人たちが言う「自分を大切にする」ということは、自己肯定感というものには程遠い、「これ以上自分が傷つかないように身を守る」という内向きの自己愛なのです。



この度の危機介入は、最初第三者の依頼で引き受けたものではありましたが、カウンセラーの覚悟だけではなく、介入を依頼した側にも大きな責任と覚悟の確認が重要でした。

私は途中からそのツメが甘かったのではないかという自責の思いに突き当たりました。

無限のループに陥らないためにも、虐待の連鎖は断ち切らなければ、危機を脱出しても完全なる虐待の克服ではありません。

しかしながら、学ぶことを受け入れないクライエントを矯正させることは誰にもできません。

気付かされたクライエントではあっても、もともと第三者によって勧められて始まったケアなので、クライエント自身の自覚や信念は後付けなのです。この後付けの自覚や信念は、とてもとても弱いのです。

ちょっとしたことで脆く崩れ去っていきます。


「自分を大切にする」という一見最もそうな表現は、実は心の底からのエゴの叫びだったりします。出生児の超自然的なエゴから一歩も踏み出せず、他人にもエゴがあり自分のエゴとぶつかりながら他人のエゴも自分のエゴもいとおしみ大切にするという程よい体験ができていないのでした。



だから、こちら側から愛を与えても、受け取るほどの準備ができておらず、他人の愛が重くて重くて仕方がなく、カウンセラーやセラピストの愛ある忠告や助言が負担で負担でしょうがないのです。

※カウンセリングを受けることなくこの状態に苦しんでいる人はもしかしたら案外あちこちにいたりするのではないかしら?

そんな心当たりが自分の中にある人は、一度ゆっくり自分見つめをした方が良いかもしれません。



さて、危機介入というのは、最も必要な時に行うものです。この親子には、最も必要な危機介入はできました。

上記の通りです。


海外に住み、日本語で支援をする人たちが少ない中でのSkypeによるカウンセリングやセラピーは、クライエントにとってどれだけの力になったかは容易に推察できます。

ひとまず大きな波は乗り越えられたと思います。私も嬉しく思います。

ですが、母親は私の助言や指導に、「はい…」「ですが…」と返すようになり、明らかに心理ゲームに移行している事がわかって来ました。

防衛機制です。

自分が変化していく事が無意識のうちに受け入れられなくなっていきます。

丁寧な感謝の言葉とともに、「これからは自分を大切にして生きていきたい。」と綴って来ました。


私はカウンセラーとしてこれ以上は不毛な心理ゲームに関わるべきでないと、この後、小介入を辞めました。



これは、危機脱出後のクライエントからのカウンセラーの引き際の重要性をとても考えさせられる体験になりました。

そしてボランティアになってしまいがちな「危機介入」ほど、クライエントにとってはその意味の深さや深刻な自分の状況がよく分かっていないという状態であるといえると思いました。





今後「危機介入」はもう頼まれても引き受けないぞという立場を主張するのではありませんよ。

今後は、依頼された時に、依頼した第三者側の覚悟も責任も同様に持つ、という役割を担わせなければと痛感したのです。



カウンセラーも自分を大切にしなければなりません。幸いに私は今回精神的な負担を受けることも被害を被ることはありませんでしたが、「危機介入」は心して向き合わなければその価値が烏有に帰すということをとても正しく学びました。

チームを組めなかったので、同じ人に2度危機介入をすることはしませんが、当事者やその第三者にとっては、今後は更なる苦難の道のりが待っているでしょう。



新しい明日、新しい年に向けて、この重いテーマを請け負ったここ数ヶ月間の思いを流すために綴ってみました。


皆様良いお年を。





それではまた



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