曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです

(終) 認知の歪む過程をいろんな角度から考察してみる⑤

人や物への認知、状況への認知が、その人の思うところや感じるところで人と違ってくるのは当然あります。モノの感じ方や思い方は一元的ではありませんからね。いくつか例をあげてみます。


・笑顔を向けたのに、冷たい表情が返ってきた。

この人私に敵意を持ってるんじゃないか?


↑ 冷たい表情って誰が決めるのでしょうか?相手の表情や発言の意味は、聞いた人が感じるものであり、意味づけをするものですから、自己肯定感が安定しているか否か、自己否定感が強いか否かで認知に大きく差が出るのはやむを得ないことではありましょう。冷たい表情は自分の中で生じる相手への投影であったりもします。


・返事が欲しかったのに、返ってこなかった。

私のこと嫌ってる?あの人はいつもそうよ。

こないだもそうだった。きっと私と口を聞きたくないんだわ。


・あ、私の後ろでまたあの人が笑ってる。

なんで?私あの人に何か笑われるようなことした?


認知の歪みは、思い込みを増長させます。

認知の歪みは、対人関係を難解な関係に自ら仕立て上げてしまいます。

認知の歪みは、客観的で冷静な視点があれば、大きな解釈違いになることは実際には少ないことです。

まずは自分の認知の仕方が偏っていないかと思い返すのもよい方法です。


ある時、職場の監視カメラについての話題が出ました。勤める公的職場(一時託児所)の監視カメラがとても気になり、カメラを見上げる度にドキドキすると言う方がいて、そのことについて認知の確認をしてみました。

以下その時の会話から↓


σ^_^)「カメラ設置の理由はわかりますよね。見守りのお母さんや家族も一緒にいる場所ですよね。」

( -_-)「遊んでるこどもに事故がない様にですが、私たちも映るのでずっと監視されているようで気が落ち着かないので、いつもヒヤヒヤドキドキして自由がない感じです。」

σ^_^)「子ども預かり中の監視カメラの設置は、職員へのターゲットというよりも、こども自身の安全が第ーの理由でしょう?こどもってあっちこっち動き回るから、どこでどの様に怪我をしたか、または怪我をしない様になど 、それはこどもの安心安全を見守るためのものでしょう?」

( -_-)「あ、そうですね…」


見られていることを客観視できないので、自分の勤務態度をみられてるような気がするのでしょう。自己肯定感が乏しいとカメラの目を人の目だと思ってしまうのです。監視カメラ = 機械による安全管理 と表現を置き換えるとどうでしょう。事故などがなければその映像が人により精査されることはありません。カメラの役割を正しく認知すると、意識のストレスが緩和されます。


σ^_^)「本気で自分が監視されてるって思って いたんですか?」

( -_-)「はい、たった今そうじゃなかったって解りました。」

σ^_^)「楽になったでしょう?」

( -_-)「はい、もうとても楽になりました。」


小さい時からずっと厳しく育てられてきた人たちは(現実には「そう思っている人たちは」ですが)、無意識の中で親や養育者の縛りからなかなか解放されないことが多いですが、気づけば手放すことが可能なので、外側からのAのフォローがあると修正が加速します。基本になるのは幼児の時期の親のPやAやCの自我からの影響です。親のPACが未熟であればそれの影響を受ける子のPACも影響を受け易くなります。

でも悲観しないで!

家族的にPACの自我が弱くても、認知の歪みに気づいたら、そこから自分のAの自我を機能させていけば、何歳になっても認知の修正はできます。

だから、ちょっと立ち止まることや気づくことが大切なのです。

気づくためには、外からのAの応援アクセスを安心して受け入れ、それにしっかり頼ることです。自分のAの自我に気づきをくれる環境を整えることは、そういう意味でとても大切です。


ちょっと構えてしまう自分、ちょっとつっぱってしまう自分を一呼吸、深呼吸して、自分を客観的に見てみることは大切ですね。

認知の歪みが自分にあるなあって思う人は、自分の自我状態がわかる交流分析はオススメです。





それではまた

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