曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです

当事者は困っていない。パーソナリティ

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あなたを困らせるパーソナリティ。でも、その人たちの日常は自分の生き辛さというのはピンと来ず、わからないものです。自分は困っていないのですから。


⬆️webから拝借画像

精神科病院で治療を受けているパーソナリティ障害のある患者さんたちの多くは、何がしかの出来事がきっかけで生き辛さを抱えてしまい、その治療を受ける過程でパーソナリティ障害がわかったか、若しくは何らかの特異な事件事故を起こしてしまって精神分析をした結果、障害名を診断され、治療をしなければならなくなった人たちです。


自らが自分のパーソナリティの障害に気づいて、治療を受けようと積極的に考える人には殆ど出会ったことがありません。

治療現場では、生死を分けるような生き辛さがその前提にあり、余儀ない受診の結果、その生き辛さの原因がパーソナリティの不具合に現れたものだとされています。

⬇️webから拝借画像


一般的にはちょっと面倒な人間関係があるからといって、人々が外から「あの人はきっと人格障害だ」「治療をしたほうがいい」と言って騒いでも、その人にとって生き辛さがあるかどうかで病名がつくことなので、本人が苦しんでいないのに、医師ではない一般人が病名をつけるなどというのは、それはもう人権侵害に等しいことです。

その人から受けている行為がたとえ理不尽なことでも、理屈が伝わらない相手であっても、決してラベリングやジャッジは許されないことだと思います。

だからこそ逃げましょう、触れずに関わりをやめましょうと専門家たちは言うのです。


仕事として携わったことがある立場から発言ができるとしたら、その事例に関しその人の事を迂闊に専門的見解で決めつけて述べるべきではないのです。確証のある発言や行動記録を見れたとしても、同調して簡単に見解を述べることはできません。人格のある相手に対し、直接ものが言えるのは、診断した医師や、その仕事やチームに直接携わっている人だけです。


心や精神に関することは、どんなに慎重にとはいえ、本人が自覚していないものを外から伝えるということは、前述しましたように最高の考慮が必要なことだと思います。



本当は寄りすがることを知らず、育ってきた中で愛し愛される事の体感が薄く、自己主張ができる自己の確立を、どこかで阻害されてきた可能性の高い人たちです。加害行為をしているけれど、実際の自分は心に深く傷を負った人たちだと言えるのかもしれません。

心の中のある部分を健全に育つ可能性か遠ざけられてしまったかもしれない人たち…


家庭環境や生活環境からの被害者かもしれないと思うと、片や逃げなさいと言いつつ、治療的立場ではその加害的パーソナリティへは一定程度の理解を示さずにはいられません。





それではまた


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