曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです


画像はwebからもらったイメージです。

Webで道を探すと、なぜか一本道が多いです。

これは人の意識の中に一本道が道のイメージとしてあるからなのでしょうね。

昔の私だったらそれも違和感なく受け入れていたかもしれません。

ですが今は違います。



道は曲がっているものも真っ直ぐなものも、このわだちのようなものも、色々あります。自分の前の道がまっすぐに広がっているものでもないし、真っ直ぐが理想なわけでもないですよね、特に人生という道は。

自分の地図帳。

自分の青写真。

たとえ曲がっていても、その時にはそれが唯一の施策だった…

私自身を振り返ってみて、特に40代はぐちゃぐちゃな道でした。

行き止まりや袋小路。

近道がすぐそばに見えているのにそこにたどり着けないもどかしさ。



時々思います。

それもこれも自分で選んだ道だったなぁ…と。

今更ながらに、感慨深いです。



それもあって、家族から独立した後は、一生懸命に交流分析や類する心理学を学びました。

職業に看護師を選んでいた事や精神科での勤務体験がやや影響していたかもしれなくて、それで探求がより深まることになったかなぁと思います。

精神科に勤めたことで、自分と夫や、夫の家族との関係の謎めいた部分がかなりクリアになったことは最大の収穫でした。自分の性格形成の要因も分かり、私はとても良い環境の中で育ったんだなあと、ひとしおな思いで精神科看護に没頭しました。



精神を病んでいる人たちと毎日の生活を共にして、精神を痛める側の生活環境や家族の有り様、職場や学校などでの人間関係など、患者さんたちのお話や生活を垣間見て、抜き差しならない環境を選んで生きてきてしまった人でも、その道を歩き直すことができる人と、思考が既に修正できないほど症状が進行してしまった人などを見るにつけ、精神状態に関わる人になって行こうと決心を強くした40-50代を想起します。この知識、独り占めしておくのはもったいない!



人の思考は、外からの様々な影響があったとしても、その道を進もうと思って進んでいるのは他ならぬ自分であることの気づきこそが唯一!とまでは言いませんが、その人の歩き方の修正ができる数少ない方法なのだろうなと思います。


交流分析は、自分の無意識のうちに決心してきた【幼児決断】に気づいて、それを【再決断】して生き直す方法です。


自分を変えて行くのは他ならない自分であること。心と体は互いに作用しあって気づかせようとしていること。

自分の数々のエピソードの中にそれがたくさん詰まっていたのだと気づくこと。気づいたら心と体のメカニズムは修正して行こうと自然に働いていくこと。そこにはどんな自分の状態でも【自己肯定】が必要であること。

ボロボロの自分でもギスギスの自分でも、嫌いな自分でも、そのことに気づいて味わうことが、「こうなるんだ!」という未来への手がかりをつかむことになるんだなあという実感が伴ってくる様になってくるのです。



「自分はどうしても家族と壮絶なバトルを繰り返してしまう。」という相談をよくいただきます。心が元気な時は、色んなことが起きても受け流せるけれど、元気でなくなると、相手の行動が悪意に満ちているように思え、自分でも嫌になるくらい反撃したくなる。という心情を吐露される方は多いです。

その気持ち、すごくわかります。嫁いだ若い頃私にも沢山経験がありましたから。

人って、だいたいそうなんですよね。戸惑って生きているのは自分だけじゃないんです。

マイナスの刺激をつい受け取ってしまうのは【心の癖】【行動の癖】、自分に元気なエネルギーがなくなっている時。

そういう時は【マイナスのエネルギー】でもついつい受け取ろうとしてしまいがち。

そんな時こそ、マイナスの刺激はスルーしましょうね、というお話で最後を結びます。


これらは多かれ少なかれ自分の体験と重なるものです。治療者側でありながら、自分の家族とはもう、たっくさんたっくさん【心理ゲーム】をやってきましたからね。自分のサンプルも随分ありますよ。それでも今はその歴史を経てのそれらのスキルと資格です。

やりがいがありますよ。



この道にたどり着いてよかったなあとしみじみと感じる今朝のわたしでした。






それではまた




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