曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです

母子分離について

数日福岡を離れていましたので4日ぶりの更新です。


前回の投稿で、親のエネルギーを生きるといった内容のお話を書きました。「母子分離」ということを伝えたかったのですが、カウンセリングに見える方で、案外このことに気づかず大人になった人は多いようです。精神科に勤めていた頃、カルテを見ると、驚くほどに多くの患者さんたちの乳幼児期の状況が似ているので、大きな動揺を感じたことを思い出します。母子分離が未完であったり、子供側になにがしかの不安が残りそのままに至ると、ヒトの成長に様々な不安定要素が加わることを手伝ってしまうようです。

「母子分離不安」を知り理解されることでその方の抱えているものがいくらか解決されると、人生もいくらかいい方向に向かいそうです。

母子分離について今日はお話してみます。



生まれたばかりの赤ちゃんというのは、言ってみれば、「万能の世界観」を持っています。

自我状態でいえば、自分と自分以外の区別があまりついていない状態。言い換えれば、「ぜ~んぶが自分」の世界。

ね、お腹が空いておぎゃ~と泣けば、自然に口におっぱいが入ってくるし、おしっこやウンチが出た、気持ち悪いよ~といって泣けば、いつの間にかお尻はふわふわすっきりになっています。実際には養育者(だいたいは生んだお母さん)がお乳を与えオムツを替えているわけですが、赤ちゃんはこんな状態を、「誰かからしてもらっている」とは考えていないらしいです。

全部が自分の世界ですからね、知りようがありません。お腹の中にいて浮かんでいるときとさほどは。こんな風に、生まれたばかりの赤ちゃんの頃は、【自分と自分以外の境界線があいまい】なんですね。これが成長するに従って段々自分と【自分以外のものの違い】が判るようになってきます。

赤ちゃんにとって、こういう理解をするには、お母さん(養育者)の存在は不可欠です。

最初、【自分とお母さんは同じ存在】だと思っています。そう、お母さんのおっぱいは自分のもの。自分が感じる欲求はぜ~んぶお母さんに感じてもらっていると思っています。

この時期出産したばかりのお母さんも、赤ちゃんがぎゃ~っとなけばスッと起き、眠くてもおっぱいをあげるために抱きかかえるし、真夜中でもオムツを変えてあげて、眠るまでずっと抱っこしたりしてあげるので、お母さんと赤ちゃんは一心同体の状態なんですね。



そのうち徐々に【お母さんという存在】があるということがわかってきますが、こんなとき、おっぱいを口に含ませながらじ~っとお母さんの目を見つめる赤ちゃんの姿は愛おしいものです。徐々にお母さんという存在がいる事はわかってきますが、それが【自分とは別の独立した存在】であるという理解はまだ赤ちゃん側にはありません。例えるならば、自分のことはスーパーマンだと思っているので、なんでも自分の望みは叶うと思っています。

さて、その後月齢が進み一歳二歳と大きくなるにつれて、徐々に自分とお母さんは違うのだな、つながっていないのだな、という事を理解しはじめます。哺乳瓶を手に持ってふりふりしたり、離乳食をべちゃべちゃにして食べたり、口に入れられたものをプイッと吐き出したりするこの頃から、やがて、一人で歩けるようになり、世界が徐々に家から外に広がっていきます。母親から離れ遊び始め、面白いものが目に付いたらそれをとって眺め、母親に見せたり渡したり、たまには親が側から離れた時間があっても、再び存在を確かめられると安心し、そんなことをしながら、嫌な事があると嫌を表現し自分の自我を獲得して、自分は自分なのだということがわかってきます。これが母子分離というものです。



長くなりそうなので、次回に(明日以降)また続けていきますね。




それではまた

 

     

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