曇りガラスの向こう側へ

正統派のフリーランス心理カウンセラーです

「傾聴」の 培い

お見え下さるクライエントさんによっては、話が長くて(一生懸命なので)なかなかカウンセリングが進まない事もあります。やはり上手な聴き方というのがあって、お金を頂戴するわけですから、クライエントさんの不利益にならないような有効な聴き方をしなければなりません。

カウンセラーによっては、部屋に入ったその時間からきっちりカウントする人もいますが(いるんですよぅこれがまた)、そうすると、一時間で終わらず、90分100分と続けば、その分の料金が加算されます。(弁護士でも行政書士でも、話の時間が大体そんな風な慣例です)

そういうことは私自身はしたくないので、最初に別途時間をとってインテークとします。そのインテークでエゴグラムを取り、家族関係やご本人の状態などを簡単に聞きます。初診時の問診のようなものです。病院勤めの経験から、その行程はとてもスムーズです。それが終わってそこから改めて一時間が始まるわけですからね。


しかし、それでも話が進まない場合もあります。

でも、決して催促はしませんよ。その方が話して楽な方法で聴きますから、じっくり聞きます。

「傾聴」というのはそれが基本です。

その、じっくり聴けようになるまでの私の体験談を思いだしたのでお話ししますね。




大学を卒業して遠くに就職し、両親から遠ざかって仕事をしていた男性が、対人関係を理由に退職して12年振りに帰省し、実家生活を送りながらある所でカウンセリングを受けていました。


自分の改善困難に業を煮やしたご本人が、そのカウンセラーの勧めで視点を変えて試みてみたのが、私とのピアカウンセリングでした。


ピアカウンセリングというのは、「仲間同士の」カウンセリングといった意味合いのもので、同じような困難を持つ人同士で互いのことを話すという意味ですが、私はカウンセラーの準備をしている最中でいわゆるインターンといいますか、この男性の母親とほぼ年齢が近かったので、困難な人生観を持つ男性とその親の立場の世代の女性としてピアカウンセリングをやってみたのでした。


正直、ご本人には申し訳なかったですが、私の内心は何でこんなややこしい方を経験未熟なこちらに…と思ったものでしたが、インターン中の我が身を思い返せば、あれ程支援者冥利に尽きた体験はなかったかなあ〜と思い直しています。


毎回の相談を受ける内容は、不遇な生い立ちと家族の悪口、職場で受けたいじめの数々、仕事の要領が悪い、お前は使えないなどど差別され、その屈辱に耐えたサラリーマン時代の話などなどなど。


当時わたしの課題は「傾聴に徹する」だったので、来る日も来る日も聴き役で、何の指導もしてはいけない立場でしたから、それが当然なあるべき応対だったのです。聴くのって本当に難しかったですよ当時。こちらの顔にも反応が出ますからね。

だから相手は、「あ、今聴いてもらえてない。」と感じるんですよね。

この時の傾聴はカウンセリングではなく、相手の共感を得るための「聴く」作業なので、私はひたすら聴いてあげなくちゃいけない。

来る日も来る日も会えば親や姉の悪口ばかりで、そんな相手に無反応で聴く(理想的な聴き方)ことの難しさったら…


でも、思い返せば、この男性のおかげで無反応な応対でも話を聴くことができるという技を体得出来たのですから、今となっては「感謝」の言葉以外にありません。


目の前に対面する相手がどんな話題を提供してきても、こちら側の対応は冷静であるという傾聴方は、一般の方でも学ぶ価値があると思います。

聞く、訊く、聴く、という3種類の「ききかた」の中で、耳を傾けて心を込めて相手の身になって聴くという「傾聴」は、人と人が信頼を掛け合うことができるに至る為の心のこもった行為だと思います。


カウンセリングって、現場では案外試行錯誤なんです。聴く側(例えば私)が感情を優先させると、話す側(クライエント)は相手の感情に沿おうと思うから、相手に合わせてしまって自分の本音がなかなか出ない。そういった意味で相手の感情に合わせない無反応な態度は、クライエントさんのクールダウンにはもってこいなのです。

なんでも話してくださいと言いながら、こちらが色んな表情をしていたら、やっぱり私に合わせた相手の話し方になるのですよね。

これは私の立場で言えばよろしくない。

クライエントさんが話しやすいこちらの表情ってあるんです。

反対に、突っ込まれてしまう聴き方もあるんですね。ある時こんなことがありました。


傾聴も一段落しての帰り間近な、あと少しで終わりといった時に、私が、「今度仕事を新しく始めることにしました。」と相手の男性に自分の近況を説明した途端、見る間に形相が変わって猛攻撃を受けることになったのです。

最後の最後まで気を許さずに無表情で話したつもりだったのですが、繊細なその男性は何かを感じ取ったようでした。

「ではもうもう僕のピアには来れないってことですね!私(僕)のどこが気に入らないんですか!おけあてばさんはいつも僕の話をちっとも聴いてくれない。

いいですよ!もう僕のピアはしたくないのなら、こちらから願い下げです!」

とやにわに興奮し、広いカフェのテーブルの位置からすっと立って、その後は無言でどんどんとカフェを出てその先を歩き始めました。

(ピアカウンセリングの場所は図書館だったりロビーだったりカフェだったり)

どうやら彼は私の無言の表情を逆手にとったか、冷淡な人と受け取ったようで、「見捨てられ感」を投影として感じてしまったようでした。

さぁどうする?

未熟な私は、恐らく微かに笑ったのかもしれません。それがその男性には別れの恐怖に見えたのでしょう。この場合は親子としてのピアカウンセリングでしたから、一種の母子分離不安が投影されていたかもしれないと感じています。


「もう私のピアはしてくれないんですね!」と言って先に立った彼のその後。

追いついた私は一言。

「ではまた来週♬」

と手を出して握手をし、トントンと肩を軽くたたきました。この時は少しだけ笑みを。


みなさんはこれにどんな感想を持ちましたか?


私の立場では、猛撃されてもそれには一切反応しない。なぜならそれは「投影」を投げかけた相手の自己防衛だからです。

気をつけて傾聴をしていても、過敏な感性を持った人や言いがかりをつけたい人とは出会います。

聴く側の未熟さが指摘されるのはそんな時です。

その学びのためのピアカウンセリングでした。

良い経験でした。

心には堪えましたが、そういう経験をしたからこそ、そして精神科での学びを重ねていけたからこそ、今の私があると思っています。

結果、男性は次も現れました。そして私は、「あなたの恐れが自分に勘違いを起こした。私は仕事が決まったとは言ったが、ピアカウンセリングをやめるとは言っていない。その思い込みは少し緩めた方がいいよ。」と話し、以後は他人の悪口ばかりではなく、自分のかなり深い内面へも見つめることができ、彼も私へ母親以上の感情「陽性転移」になることにはならず、自立した大人になっていき、やがてピアカウンセリングは終了しました。

彼が一人で就活を始めたことは言うまでもありません。長い道のりでしたが、彼は達成しました。



冒頭にあったお話の長いクライエントさんは、カウンセリング料に負荷をかけた上で、最後に少し割り引いて差し上げました。

次から彼女は話したいことを少しまとめて来談に来ることでしょう。加算することだけが効果的なカウンセリングとはいいません。

要は、どうやったら相手に伝わるかというお勉強も、自然に無意識にしていただいているのです。

次回来ていただいた時にその事をこちらも確信することとなります。





それではまた



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